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12月31日
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家族という客車を牽引してS21型の古い機関車が走る。
今年はポイントを切り替えて最後の山道(多分)に挑戦。
しんどい急勾配だけど、この道のほうが長く続いてそうだから。
古い機関車は周りの人に支えられ、後押しされながら走る。
それでも機関車は走っているほうがかっこいいですからね。

今年はいつも以上に、皆さんにお世話になりました。
おかげさまでなんとか12月31日に辿り付きました(^^ゞ
来年もまたよろしくお願いいたします。
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by mypac | 2006-12-31 10:04 | 昭和40年代の鉄道写真 | Comments(4)
「田野」と言えば思い出すなあ
日豊本線「田野」はメジャーな撮影地ですから
多くのファンが、各々の楽しき思い出を残した場所でしょう。

ぼくの場合、「田野」と言えば友人のI君を思い出します。
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彼は男三人兄弟の長男で、ぼくは一人っ子です。
彼と彼の末弟君と撮影旅行にときのことなんですが、
この「田野」でちょっとした事件が起こりまして、
末弟君が旅行を続けられないほどに落ち込んでしまいました。
この時、日頃ちゃらちゃらして頼りない感じのI君が、
別人のようにしっかりして収拾して末弟君に笑顔が戻りました。
一人っ子の自分には異次元のような、兄弟愛っていうんですか、
信頼関係の素晴らしさを見せられて、兄弟っていいもんだなあ、
としみじみ思ったものでした。
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by mypac | 2006-12-30 09:14 | 昭和40年代の鉄道写真 | Comments(4)
日豊本線田野
サボっていたBLOGを久しぶりに更新するにあたって、
写真を何にするか、迷った末にまたSLにしました。
理由は、撮影に行っていないこと、
今朝も朝日に間に合う時間に目覚めて、空を見るために起き出したのに
冷たい北風に身をすくめて布団に潜り込んでしまいました。
当面、撮影機会はないかもしれないな・・・と。

さて、ところでSLの写真はどれにするかな、
フィルムナンバー毎のサムネイルを見ていると
日豊本線「田野」の写真にまた彼のことが思い出されてきました。
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彼とはI君、当時の一番の親友でしたが、
今はもう思い出を語り合えないのが残念至極。

あれは暑い夏のことでした。
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by mypac | 2006-12-29 09:25 | 昭和40年代の鉄道写真 | Comments(2)
山陰本線馬堀5最終章
先日、昭和45年春、と書きましたが
昭和46年春でした。謹んで訂正いたしますm(__)m

ということで、このシリーズ最終章
時刻表のダイヤ改正では昭和46年4月25日となっていますが、
4月25日に京都から園部へ走った機関車と客車が
園部で一泊して京都へ帰る上り列車として運転されるのが
翌26日の朝の通勤列車です。

正真正銘、これが見納めです。
どこで別れを告げようか、考えた時、
迷うことなく、このメインスポットを考えていました。
ここしかありません、いわゆるお立ち台です。

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一枚目の亀岡を発車する煙のカットのみ縦位置を横位置にトリムしています。
あとは135mm望遠レンズの活写ノートリミングです。

亀岡を発車した列車が亀岡盆地を縦走して
何かとお世話になった馬堀駅までほぼ直線路を近づいてきます。
これが最後、これが見納め、普段は撮らない遠い風景を
惜別の思いを込めて愛機ペンタックスへ封じ込めます。

馬堀駅でスタートダッシュに備えて石炭を焚く煙が上がります。
出発の汽笛を鳴らした蒸気が弁から噴出すのが見えてから
一瞬置いて「ボーーッ」朝の静寂を破って汽笛が届きます。
最後のドラマ、ラストシーンです。

何度も見た光景なんですが、
いつもと違うのは機関車の正面に
「さよならヘッドマーク」が飾られていること、
牽引機はもちろんC575、ぼくの大好きな(多分みーーんなそうでしょう)カマです。

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いつもと同じように、ダッシュしてきた列車が花道を駆け上がってきます。
一枚、また一枚、心でさよならを言いながら、シャッターを切ります。
この写真は流れで135mm望遠のラストショットですが
このあと、ここぞと決めたポジションでメインの中判機のエヤーレリーズを握ります。
「パシャ」・・・聞こえたのかなあ、・・・蒸気機関車の音って結構大きいですからね、
聞こえたことにしといてください(^^ゞ

横を通り過ぎるC575に「さよなら、ありがとう」
精一杯の感謝の気持ちです。

だだだっ、だだだっ、と列車が通り過ぎ、
カタンカタンとレールの継ぎ目を踏む音が遠ざかり
余韻も小さくなって、普段の静寂が戻ろうとする頃、
遠くで何番目かのトンネルに入る汽笛がひときわ長く聞こえました。

「バイバー-イ」ぼくにはそう聞こえました。
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by mypac | 2006-12-10 10:12 | 昭和40年代の鉄道写真 | Comments(4)
山陰本線馬堀5
前日の仲間の写真なかで元気に笑っていますが、そのうちの一人はもういません。
それほど親しいわけでもなかったのですが
彼が他界してから少したって、某オークションで彼の集めた蔵書が
次々売りに出されているのを見て、ちょっと悲しかったなあ。
もちろん出品者は家人なんですけど、現実はそんなものなんですねえ。

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ここを走るC57の勇姿が昭和45年春で最後になると決まっていました。
その日が近づくにつれてシネマのラストシーンのように
後姿ばかり撮っていました。
前日のレンゲ畑の仲間達も、実はカメラの向いている方向はこの写真の方向です。
誰言うとなく、自然にあの形で集まっていましたね。
愛すべきC57型機関車に惜別の思いを込めて・・・。



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最終日間近の夕景です。
亀岡盆地の朝霧とともに夕霞が馬堀の魅力のひとつでした。
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by mypac | 2006-12-08 22:37 | 昭和40年代の鉄道写真 | Comments(4)
山陰本線馬堀4
この馬堀は京都から6駅目ですから、京都の鉄道ファンの庭です。
一人だけ大阪のファンが混じっていまして、それがぼくです。
この写真の仲間のうち二人とは特に親しくて、
そのうちの一人に「絶対他言無用」と約束をさせて
例の「とげ草山」を教えたら・・・・
さも自慢げに言いふらしたらしい、この軽薄者めと、
懲らしめているところです。
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バックのカメラはそれぞれの自慢のカメラです。
時代を反映した中判カメラが並んでります。

友人が言いふらしたどころか、とげ草山の現地まで案内した相手に、
東京のSさんがいまして、彼は雑誌によく投稿して、名の通った人です。
幸い、早い時期にお会いする機会がありまして、
「あの場所だけは投稿しないでください」と直々にお願いしましたよ。

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約束を破ったお詫びに、友人が教えてくれたのがこの場所ですが、
当時は、こんなところ、トゲ草山の1/10も値打ちはないわい、
と憤懣やるかたない思いでしたがねえ、
今見てみると、うむなかなか味があるではないですか。
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by mypac | 2006-12-05 21:36 | 昭和40年代の鉄道写真 | Comments(6)