<   2005年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧
若かりし頃
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ぼくはある意味晩生なのかも知れません。
21才でバイクの免許を取りました。
それも実地試験がスクーターからクラッチつきのバイクに変るので
一気に難しくなると聞いて、申し込んだのですが、
書類を出して、後日試験だと思っていましたら、
筆記試験はなんと当日だと言うではないですか。
慌てて試験場の前で虎の巻を買って、昼食もそこそこに棒暗記に専念しまして、
無事合格(~_~;)
筆記試験一回に付き、実地試験は2回受けられるのですが、
2回目の試験車はもうクラッチつきのバイクが予定されておりました。
これはやばい、一発で通らねばと、試験場前の教習場で1時間講習を受け、
初めてスクーターに跨りました、まさにぶっつけ本番状態です。
帰ってからは試験コースの暗記、イメージ走行に明け暮れ
一週間後の試験当日も、早めに行って、もう一度1時間講習を受けて、
結果は見事一発合格(^.^)>(^.^)>\(^_^)/ヤッター!!
余談ですが試験当日、次週からの試験車CD125数台を試験官(警察官?)が乗り回しておりました。

免許が手に入ればバイクが欲しくなるのはあたり前
最初に買ったのはスズキA100という2サイクル単気筒で
片道150キロ圏ぐらいの撮影には、大活躍しました。
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by mypac | 2005-08-30 14:20 | Comments(2)
見果てぬ夢
三つ子の魂百まで、と言いますが、ぼくが夢中になった鉄道趣味も
多分生涯意識の中から消えることはないと思います。
熱中したのは10年にも満たない期間でしたが、それはそれは濃密な時間でした。
線路脇から遠ざかっても、心の中にはいつかはこんな光景を自分の部屋の中に模型でも再現したいと思っておりました。
住宅事情や経済的な面から、もうどうやら届かぬ夢に終りそうですが
記憶のなかでは今も走り続けて停まりそうにありません。

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昭和43年2月肥薩線日当山
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by mypac | 2005-08-28 10:51 | Comments(0)
あの夏の日
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久しぶりに夜行列車に乗って、線路の傍を歩いた夏は、もう2年も前のことなんですね。
若い時は機材の詰まった重いリュックを背負って、何駅も歩いたものでした。
それを懐かしくて、思い切って「小歩危」から「大歩危」までを歩いたのですが、
午前中の撮影でかなり足を使っていたせいもあるのですが、
区間の後半、膝にきてしまって、ほうほうのていで、大歩危駅にたどり着いたのを思い出します。
もうあれから、2年が過ぎて、体力も行動力も、年々か細くなっていくようです。
無理のない範囲で、思い出の線路脇を歩いてみたいと思うのですが、
雨の奥中山は果てしなく遠い気がします。
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by mypac | 2005-08-25 11:16 | 昭和40年代の鉄道写真 | Comments(2)
春まだ浅きみちのく一人旅
ふるさとの訛りなつかし停車場の・・
石川啄木文学に通じていなくても
上野発の夜行列車に一夜を過ごし
盛岡で始発の各駅停車に乗り換えると
いやが上にも旅情がつのります。
蒸気機関車の息遣いを聞きながら
厨川、滝沢、渋民と啄木ゆかりの駅名を辿り行くと
車窓の素朴な風景に一人旅の寂寥感が身に染みます。
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この旅では少し小高い場所にある奥中山YHでうっすら雪化粧の朝でした。
大阪では薫風の5月でも
みちのくはまだ芽吹きもしておらず
思えば遠くへ来たもんだと
しみじみ感じたものでした。
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by mypac | 2005-08-09 21:20 | Comments(3)
遭遇
沼宮内-一戸間ではほとんどの列車に補機が付いていました。
重連あり、後補機付きあり、三重連あり、前補機後補機付きあり、
大動脈ですから列車本数も多いのですが、
ただ一度、三重連と重連の離合に遭遇しました。
ワンカットに5台の蒸気機関車が写っています。
願わくば登ってくる三重連が十秒ほど早ければ言うことなしだったのですが、
逆に数秒遅ければOUTでしたから、撮れただけOKですね。

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画像は原画の約1/4部分をトリミングしています。
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by mypac | 2005-08-04 20:49 | Comments(4)
25パーミル
パーセントで言うと2.5パーセント、角度で言うと、1.4度。
歩いて登っても、車で登っても、たいした坂道じゃないですが、
鉄道となると25パーミルは急勾配です、
ローカル線では33パーミルという勾配もありますが、
本線では25パーミルと言えば最大勾配、しかも延々と続く坂道は駅構内場内信号機を越えても続きます。

構内のレベル(水平)が下って見えるような急勾配を押し上げる後補機
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です。
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by mypac | 2005-08-03 17:57 | Comments(0)
奥中山
創刊まもない、鉄道ファン(多分6号)で見た「雨の奥中山」という撮影紀行が目に焼き付いていました。
高校の夏休みにアルバイトをして溜めた全財産をつぎ込んで、初めての一人旅に
東北本線「奥中山」に行くことにしました。
ところが、3日目位にホームシックになり、なんとか奥中山にたどり着いたのですが
紀行文どおりの「雨の奥中山」になって、先客の二人組みも退散してしまうと
無性に寂しくなって、数カット撮っただけで、真っ直ぐ帰路についてしまいました。
今思えば、とてももったいないことをしました。

社会人になって、一眼レフも買って、2度目の挑戦。
今度は流石にホームシックもなく、ほぼ予定通りのコースを回りましたが
残念なことに、仙台-盛岡間が電化工事中で、盛岡以北はまだ安泰と思っていましたのに
あちこちで焙烙面の改修やら、曲線緩和の新線やら、工事をしていました。
世は高度成長期で、鉄道のみならず、道路も拡幅とかバイパスとか
日本国中列島改造が進んでおり、撮影画像の多くに工事中の無粋な様子が写っているのが目に付きます。

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写真は奥中山へ進入する下り列車です。
カメラはホームシックの旅の時のメインカメラ、ペトリ7s
奥中山を撮りたい一心でアルバイトして買ったカメラです。
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by mypac | 2005-08-02 12:11 | Comments(2)
もう少し早ければ
東北本線沼宮内駅
ここからへ北へは奥中山を頂点にする十三本木峠の急勾配があり
沼宮内―一戸間には三重連も設定されておりました。
客車列車も例外なく補機が付き、優等列車は補助機関車付け替えのタイムロスを考慮してか
盛岡―青森間を通しで重連運用も多く、鉄道ファン垂涎の線区でした。

この区間には三度撮影行に行きましたが、丁度実戦配備されたばかりのDD51が
優等列車を中心に置き換えられており、もう少し、せめて半年早ければ
SL天国であったのにと悔やまれます。
でもこればかりは仕方がありません、自分の生きた時代ですから。

駅員さんも笑顔で珍しそうに見ているようなのどかな時代でした。

写真は多分急行「十和田」です。
画面奥には補機運用のD51が何台も待機中でした
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by mypac | 2005-08-01 18:30 | 昭和40年代の鉄道写真 | Comments(7)